ごはん三昧

おたくが絵描いたりだらだら話してるブログです。版元とは一切関係ありません。

記憶と人格

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久しぶりに不揃いの蜜柑たちを読みました。いやもうこれ読む度に「なんで全媒体につけなかったんだVA」というツッコミが入るし、本編やる前にこれ読んで『!!??』となったであろうPC組のお気持ちお察しします。

私はPSP版が最初だったので、クリア後しばらくしてひょろっと読むことが出来て何で誰もこの存在を教えてくれなかったんだ!!?と理不尽に憤ったものです!

 

上記の絵はえさ…謎の男に記憶を消してでも外に出たいか選べ、と言われる場面ですが、ちょっと感じることがあったので書き残しておきます。

 

基本、人格というのは記憶の蓄積だと考えているので、記憶を失くすのは一回死んで別人に生まれ変わるようなもんだと思ってます。実際瑚太朗くんもそんなことモノローグで言ってる。クロチャンの美希も同じこと言ってたなあ…まあだからロミオさんも近い考えなのかな。

で、人格が砕けても、失くしたものを取り戻せる保証がなくとも外に出たいか聞かれて瑚太朗くんは「過去がなくても前だけを見ていられれば問題ないはず」と答えるんですよね。

ここから便宜上、記憶を消される前の瑚太朗をA太朗、消された後風祭学園に通う瑚太朗をB太朗としますが、実際に学園に行ってA太朗の言った「誰もがやっていることを取り戻す」ことをしたとしても、それを享受するのはB太朗なわけじゃないですか。

でもこういう…理屈を越える未来への羨望がA太朗の中にあったんだよなあ。

 

これを考えた時に、TerraのEDを思い出したのです。

私はTerraのEDについても同じく、テラコタさんの生はあそこで終わって、ポチはテラコタさんと地球篝の身体(と呼んでいいのかあれは)を元にしただけの新たな人格、と割り切って読んでたんですよね。やはり一番の理由は、テラコタさんとポチの間に記憶の連続性がないから。

でも今回不揃いの蜜柑たち読み返して、B太朗くんが青春のやり直しが出来たのはA太朗くんの決断によるものだし、ポチが月篝に会いに行けたのはテラコタさんが走り切ったからだし、記憶の連続性だけじゃなく「人生で何が起こったか」がその人に影響を与えるのならA太朗→B太朗もテラコタさん→ポチも連綿として続いているものなのかもなあと思ったのでした。

んあ〜〜〜〜〜〜日本語が上手くなくてすみません…

 

でも、さも今わかった!みたいに書いたけどこれをどこかで感じてなかったらPVBの「彼らの関係性は書き換えられた」にあんなに心動かされなかったと思うんだよね〜。だから…きっと…頭でっかちな理屈が阻んでいたことをぶち壊すきっかけをくれたのが今回の再読なんでしょうな。