ルーピン先生
騎士団読み終わってついでに謎プリも読みました。シリウスの名前が出るたび「ここはシリウスがいない宇宙…」と悲しくなってしまうしめっちゃ出てくるので50回は落ち込んだと思う。
ルーピン先生の話をします。
小学生の時にアズカバンを初めて読んだ時からルーピン先生一筋なのでいくらやっても語り切れないくらいの想いがあるんですけど…一言で言うと、逆境の中にあって人の道を貫いたところを尊敬してます。
逆境も逆境、半端ない逆境で他の人が人生で一度あるかないかの苦難を10年ごとに経験してるくらいの勢いなのでローリング女史はお気に入りのキャラ(公言されてます)に対してドSだなあ…
詳しくはローリングさん手ずから手がけたリーマス・ルーピン史があるので読んで見てください(ダイマ)
日本語版も電子で買えます(強めのダイマ)
https://www.amazon.co.jp/エッセイ集ホグワーツ勇気と苦難と危険な道楽-Kindle-Single-Pottermore-Presents-ebook/dp/B01JLXET76
しんどすぎる(真顔)
初出で地味にダメージくらったのが「危険が及ぶのを恐れて父親との同居は断った」という部分ですね、、友人も無くし恋や結婚もできないものと思い込んでるのに更に実の親と暮らすことも出来ないのか…
この中で作者は「人狼はHIVやエイズのメタファーである」と言ってるのですが、私はもっと広い意味で「人格より前にカテゴリで判断される苦しみ」と捉えています。
例えばうっかり転んでツボ割っちゃった時、普通だったら「おっちょこちょいだな〜」で済むところを人狼たちは「凶暴性が露出した」とか言われちゃうわけじゃないですか。いや想像ですけど。
これは生きてれば誰しもぶち当たる問題だと思うんですよ。例えば私なら「やっぱり女だから」とか「日本人だから」とか「田舎者だから」とか、職業だとか容姿だとかで。(まあ人狼は比べ物にならない差別を受けてるんですけど…想像できる部分で共感してるということで)
私も心が狭いので「アア〜〜〜ン◯すぞ!!?」とか思っちゃったりしますが、ここでルーピン先生に学ぶことは、そこで人の道を踏み外すか、守るか、ってとこで。
先生が迫害を受ける身でありながら、他者を許し善のために生きる人だったことを本当に尊敬しているのです。私だったら人間が腐って闇の勢力に付いてたよ(台無し発言)
上記の先生史も「極めて困難な状況でも最善を尽くし、当人が思っていたよりも大勢の人びとを助けた勇敢で思いやりのある人物として、リーマス・ルーピンはいつまでも人びとの記憶に残りつづけたのです」で締められていて、先生の人生は主観で見ると苦しみばかりだったけどたくさんの人の光だったんだ…って泣いちゃう(特に「当人が思っていたよりも」で胸が詰まる)
ただ…ここで悲しいのが、ルーピン先生の怒りは先生を追い込んだ社会に対してじゃなくいつも自分に向かってたことで…
グリーモルドプレイスで「私が何の罪もない子どもに何をしたかわからないのか」と叫んだとき「あんたも噛まれた時は罪もない子どもだったんやで」って崩れ落ちました…。
アズカバンでスネイプが「うっかり」狼人間のことバラした時、先生はスネイプを庇う風だったので「なんて出来た人なんだ…」と感動した覚えがあるんですが、後の巻を読むと自分が価値のない人間と思うことに慣れすぎているから聖人のような振る舞いも出来るんだとわかってしんどくなりました。
でも、別にそれで先生の行動の価値が下がるわけじゃなくて…
例えば、シリウスがハリーを大事にしたのは親友の忘れ形見であったからだし、
ハリーが無条件にシリウスを慕ったのも父親の親友だったからだし、
こういうのは表裏一体で理由がどうであれ価値が下がるわけじゃなく、ただそういうものとして在るということで
先生の生き方は、先生自身が最後まで忌み嫌っていた狼の部分と影響し合っていたこと考えると無限に苦しむ羽目になりますが、好きだな凄いなって気持ちもいつも一緒にあるのでした。